扁桃核ブログ

倫理問題に関する私見を述べるブログです。

無倫理主義の採否決定要因(2)

 前回の記事の続きです。

 

まず、前回の最後に挙げた、現時点で私が思いつく無倫理主義の採否決定要因を再掲します。

 

①無倫理主義の採用による利害得失。

②無倫理主義に対して抱く自己または他者の感想。

③無倫理主義の内容の信憑性。

 

これらの項目は相互に乖離しているのではなく、大きく重複しています。例えば、①や③も感想として現れる以上は本来②のうちに含まれます。また、①を広義に取れば、無倫理主義の採否はすべて直接的にはやはり①によって決定されるのであり、②や③は利害得失の判断材料として間接的に採否決定の要因となるに過ぎないと考えることもできます。

 

そこで、本稿では便宜的に①の無倫理主義の採用による利害得失とは直接に倫理的圧迫に関するもののこととし、そのような①や③を除いた無倫理主義に関する感想を②とします。

 

 ①については前回略述したので、以下では②③について解説していきます。

 

まず、②のうち無倫理主義を知った当初における感想の例としては、次のものが挙げられます。「無倫理主義」という語を言ったり聞いたり書いたり見たりした際に感じる快・不快の情動や、「無倫理主義」という語の意味から思い浮かぶ「新しい」「力強い」とか「安直だ」「危険だ」とかといった印象、「現代の世相を反映している」とか「非社交的な人物に受け入れられやすそうだ」とかといった思考などです。

 

これらの情動や印象・思考は影響しあっており、時とともに変化していきます。例えば、無倫理主義という語に「新しい」という印象を抱き、それが抱いた者にとって好ましいものだった場合、それが情動に影響して当初は抱かなかった「喜び」を感じさせたり、思考に影響してその人物にとって好ましい思考をもたらすように誘導したりします。

 

「新しい」という印象が好ましい思考を誘導する場合、印象を抱いたのが革新的な人物であれば、「無倫理主義は旧来の謬見を刷新する」と思考するように誘導するというような、「新しい」という印象から直接連想できる思考を誘導することももちろんあるでしょうが、親欧米的な人物が「新しい」という印象からまず欧米先進国を連想し、そこから「無倫理主義は欧米的な発想から生まれたのだろう」と思考するよう誘導するというような、「新しい」という印象から直接は連想できない思考を誘導することもあるでしょう。

 

逆に、同じく「新しい」という印象を抱いても、それが抱いた者にとっていとわしいものだった場合、それが情動に影響して当初は抱かなかった「怒り」を感じさせたり、思考に影響してその人物にとっていとわしい思考――「無倫理主義のような新しい思想は旧来保たれてきた調和を乱す」というような――をもたらすように誘導したりします。

 

さらに、これらの感想は無倫理主義自体とは直接関連しない意識内容の影響を受けることもあります。例えば、無倫理主義に対して「新しい」という印象を持っていた革新的な人物が、革新的な考えを捨てて保守的な考えを持つように変わった際、無倫理主義に対する「新しい」という印象は変わっていないのに、その印象の影響を受けて無倫理主義に対して抱く情動や思考は、肯定的なものから否定的なものに変わるといったことです。

 

 以上のような感想を他者が抱いた場合、それが②のうちの他者の感想であると一往は言えるでしょう。しかし、感想自体は抱いた本人にしか分からないので、②のうちの他者の感想とは、実際には他者の言動やその記録から推測したものでしかないのです。

 

 そのような他者の感想は、それに多大な関心を寄せる者にとっては無倫理主義の採否決定要因となり得ます。

 

最も分かりやすい例は、内心では無倫理主義を採用しているのに、他者が無倫理主義に対していとわしい感想を抱いているように思われたため、外観では無倫理主義を採用していないように装うといったものでしょう。この例では他者の感想は外観上の無倫理主義の採否に影響しているだけですが、他者の感想に説得力があった場合には、内心上の無倫理主義の採否に影響することもあり得ます。

 

 ③の無倫理主義の内容の信憑性は、無倫理主義を「倫理は無い」という思想と「倫理を無くす」という思想とに大別した際に、主に前者の思想に関して問題となります。

 

ただし、後者の思想に付随して唱えられるであろう「倫理を無くすのは有益なことだ」とか「みんな倫理を無くすことを望んでいる」とかといった思想を広義の無倫理主義の一部とみなす場合は、それらの付随的思想の信憑性も③の中に含まれます。もっとも、本稿では直接に倫理的圧迫に関する利害得失は①の内容としたので、ここでの「倫理を無くすのは有益なことだ」という思想は①に含まれない有益性に関する思想――「倫理を無くすと感情や意志を誤解しにくくなるから、それは有益なことだ」というような――を指しています。

 

よって、「無倫理主義の内容」と一口に言っても、複数の思想を意味し得ることに注意しなければなりません。

 

これらの複数ある思想は、どれもが「倫理を無くす」という思想のよりどころとなることができますが、「倫理は無い」という思想が「倫理を無くす」という思想のよりどころとなる場合は、両者の「倫理」という語は異なった内容を指すことになるでしょう。すでに「無い」ものを「無くす」ことはできないからです。

 

編集記録1:2020年3月30日、本文冒頭の語句のリンク先URLを現在のものに修正しました。

編集記録2:2023年10月13日、「#無倫理主義」のハッシュタグを付け、編集記録の書式を改めました。