読書記録:ジンメル「現在と将来における売春についての覚え書き」(3)
読書記録:ジンメル「現在と将来における売春についての覚え書き」(1)、(2)
前回(冒頭リンク(2)の記事)に引き続き、世間の売春に対する道徳的態度へのジンメルの分析をまとめていきます。
ジンメルは、現代社会において売春が軽蔑される原因についても解説しています。彼によれば、貨幣の浸透と女性の地位向上との両方の実現が、売春が軽蔑されるようになる社会的条件であるそうです。この条件を「現代西洋社会のような発達した社会」は満たすため、売春は軽蔑されるとのことです[1]。
この説明が妥当なものであるかどうかは私にはわかりません。ただし、妥当であったとしても次のことには注意しなければならないでしょう。軽蔑されるからといって必ずしも道徳的に悪であるとみなされるわけではないということです。例えば、バラエティ番組を視聴することを軽蔑する人はある程度存在しますが、そういった人たちのすべてがバラエティ番組を視聴することを道徳的な悪であるとまで思っているわけではありません。
もちろん尊敬される行為よりは軽蔑される行為の方が悪であるとみなされやすいでしょうから、貨幣の浸透と女性の地位向上とが本当に売春が軽蔑されるようになる条件であるのならば、それらは売春を道徳的な悪であるとみなす風潮を助長するものではあるのでしょう。また、中には「女の献身のような個人的な価値」[2]と「貨幣のような没個性的な価値」[3]とを交換すること自体を理由として、すなわち、貨幣の浸透と女性の地位向上とが直接の原因となって売春を道徳的な悪であるとみなす人もいるのかもしれません。しかし、前回述べた不幸な者へのやましさを隠蔽する意図や、後述する事情が直接の原因となって売春が道徳的な悪であるとみなされることもあるということには留意しておかなければならないでしょう。
次にジンメルは、現代社会において売春が必要とされる原因について解説します。それによると、「高度に発達した文化」においては結婚のために必要な男性の「精神的あるいは経済的そして性格的な成熟」が「性的な成熟」よりも遅れるために売春が必要とされるとのことです[4]。
世間はこの売春が必要とされる現実の事情をなかなか認めようとせず、「道徳性が高まれば、このような時期尚早のさかりを抑えることができる」[5]と考えるそうなのですが、その世間自体は時期尚早のさかりを抑えて売春を行わないわけではないそうです。「世間は、売春問題ではあれほど敏感な反応をして、自分たちの生き残りのために必要な犠牲者にたいしてはあれほどの思いやりがあります」[6]という記述は、前回触れたように世間が「売春婦たちが高級であればあるほど、攻撃の矛先」を緩めることを指しているのでしょう。
最後にジンメルは、将来の人間の心理的なありかたについては予想が困難であるとしつつも、簡単な予想をしています。そこに次のような記述があります。
単婚が存続するかぎり、一夫を守って生きている女性には、多くの関係をもつ女性にたいしてよりも、人格的な価値が上だという気持ちが寄せられるでしょう。結婚が男女関係の最終的な目標であるかぎりは、売春は必要悪としか感じられないことにかわりはないでしょう。性的な成熟と結婚資格とのあいだに葛藤があるための結果です。これが生む悲劇は、犠牲者を個人的に罪を犯した本人ではなく、むしろ社会的な罪の対象と考えたとしても、なくなることはありません。ただ、ましになるだけです。[7]
これが、世間が売春を道徳的な悪であるとみなすようになるもう一つの原因です。よって、不幸な者へのやましさを隠蔽する意図や貨幣の浸透と女性の地位向上、単婚が男女関係の最終的な目標であることが原因となり、世間は売春を道徳的な悪とみなすようになるというのがジンメルの分析であるとまとめることができます。
[2] 同上、39頁。
[3] 同上。
[4] 同上、42頁。
[5] 同上。
[6] 同上、43頁。